【3日目】その日は三嶺山を目指した。バスで麓まで引き返し、それからの行動だったので楽ではなかった。バスから降りると、世の中が自分を中心にして回ってるような気がした。条件付き(何時までに◯◯に集合)で自由行動が許された。我々はのんきに構え、出発した(ある決められた範囲内での自由行動の出発点を)のは一番最後だった。小笹の上を「ザッザッザッ」と合唱しながら気持ちよく行進した。軽い足取りで三嶺に着いた。思わず「わっ!」と言わずにはいられない、素晴らしい360°のパノラマが展開した。四国の山々、瀬戸内海までも一望でき、まるで航空写真でも見ているようだった。幕営地近くになって、小休止がとられ「各パーティの3番目を歩いている人は集合してください」との連絡が。私は血が逆流するような不安な気持ちで集合した。そしてそこで観察のテストが行われた。今まで通ってきた道筋で気づいた木の名前を書け、というのと木の名前を当てることだった。それは何ということはなかった。歩くことだけに夢中にならず、絶えず周りに気を配ってさえいれば良いことなのだから。
【4日目】大会最後の日だった。天気も悪く、初めから道を間違えあまり良くないスタートをしたためか。そうではないけれども、この日の行動が一番つらかった。きつい坂を這いつくばって登ったかと思うと、風が吹き、さらには霧が体を覆い、やがて雨になった。しかし四国の連山や四国の自然が、我々にお別れをしているのだと思うと、そんなに苦にはならなかった。やがてA 隊B 隊の集合地点に着いた。二日目の幕営地だった。そこでは他県の仲間と記念写真を撮ったりするなど、交流が盛んに行われているようだった。雨が降ってきた。おまけに帰りのバスが大幅に遅れた。バスを待つ時間が経つにつれて、苛立ってきて、「バスめ、何をしている」と思いもした。しかし今までの苦労やこれからの楽しみを思うと、そう気にはならなくなった。やがて、池田町に着き、無事、四日間にわたる登山行動は終わりを告げたのだった。
地元の人々の心と結びついた大会
我々は四国の自然に触れてきた。それ以上に私は四国の人間に触れてきたと思う。この感激はインターハイに出場した我々にしか分からないかもしれない。そしてまた、この感激を得ることができたのは、そこの人々に心があったからだと思う。もしその心がなかったら、インターハイ、特に山岳部門というものが無味乾燥なものになるだろう。
私はインターハイというものが、地元の人々の温かい心と強く結びついているということをつくづく思った。そしてこのようなことに触れることができたことを誇りに思い、一生の思い出としたいと思う。
※昭和47年文集より。本大会で、気仙沼高校山岳部は史上初めてインターハイ優秀校(ベスト6・金メダル)に輝きました。
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