あの夏、最良の日のこと。

高野定夫(山岳部顧問)

 ここ数年来、持病の悪化に伴って思うように行動できず、夏の合宿だけ辛うじて参加するという情けない状態で顧問に名を連ねてきていた。今年になって新進の早坂先生を迎え「病持ち」の私が、さっそくその席を降りた次第。それでも山行計画のたびに「どうですか」と声をかけられ戸惑ったものである。ことに病のほうは5月の大スランプを脱しきれずに大決心せざるを得なかったが、結果は大成功であった。あの時の爽快さは一生忘れまい。そして夏山合宿の時期を迎えたのである。体調は良い。合宿のほうには早坂、目黒の両先生が同行される。

 今だ! 私の夢であったイワナ釣りのためだけの山行がやっとできるのだ。しかも相手は滝太郎。不足はない。またとないチャンスだ。この話にすぐM氏が乗った。O君は案に相違して「ぜひ」と言った。さっそく山岳部の合宿日程に合わせて、合宿に参加できない責を諸君にイワナで味わってもらおうと細かな計画に入ったのである。

 7月25日、私とM氏、途中でO君を乗せ一路大鳥部落へ。その日は本流で少し遊ばされ小沢で毛釣をやってみたが、私が3匹、O君1匹。一番張り切っていたM氏の毛釣には飛びつくがかからなくて悔しがることしきり。日も暮れ、良さそうな沢で明日に期待して第一夜を過ごす。

1975年 春の五葉山

 翌朝、弁当、カメラなど用意し意気込んで出発。渓相は実に素晴らしくポイントの連続である。が、不思議なことに彼らは全く姿を見せない。午後までかかり結局坊主であった。足取り重くひと尾根越して冷水沢に幕営。夕方に本流を試みるが、この時はM氏に2匹、小型であった。

 翌日、前日の苦い体験から、冷水沢を30分だけやってみてアタリがなければ池まで行こうと申し合わせて出発。ところがM氏に20センチクラスだが良型がきた。次いで私、O君と来た。こうなってくるともはや違う。体の動きは鋭敏に、ポイントでは地を這い、冷水に膝まで浸かり時に息をも殺す。ポイントを争いながら上流へ…。持参のエサも切れ、バッタ、トンボなど手当たり次第。登るほど型がよくなり尺クラスも出始めた。十分に堪能して幕営地に帰り着いた時にはもうクタクタであった。なぜなら前日偵察したO君の言葉を信じ、昼食はもちろん、カメラ、エサも持たなかったのである。釣果は尺クラス4匹、八尺クラス約20匹である。帰幕途中、岩場で足を滑らせたM氏のアバラが折れていたと下山後知った。M氏の屈強な身体にはただただ敬服するのみである。

 大鳥池に着いたのは日暮れ近かった。体力は消耗しきってきたが、十分な釣果で意気揚々と登ったのに気高パーティの姿はなかった。一年生が多かったから頑張りきれなかったと思い心配したが、好天続きであったので大きな遅れにはならなかった。

 大鳥池の幕営地で気高パーティとようやく合流。焚き火を囲み、こんがりきつね色になったイワナを肴に大鳥の水で冷やしたワインは空きっ腹に心地よい。このイワナの香りのなんと清楚なことか。このワインのなんとまろやかなことか。これだけは岳人のものであり、世人のものではない。この最良の日ももう終わろうとしている。

「山椒魚」第2号(1979年3月発行)