昭和46年度インターハイ レポート

登山行動レポート

 参加人数が多いため、男女ともA・B の2隊に分かれ、その隊の中で3〜4校ずつの班に分かれた。我々はB隊で高知、静岡、京都の代表と同じ班になり、行動を共にした。

【1日目】幕営地は3日目と同じところで、しかも女子隊と一緒だった。そこはダムのすぐ近くで、ゴーゴーという音がいつも聞こえ、迫ってくる山の谷間で共鳴し、一層響きが強くなっていた。いよいよ開始だ。例によって例のごとく幕営が始まった。我々のところは湿気ってはいたが、ペグが刺さりやすい所だったので、案外スムーズにテントを張ることができた。我々が一番早いと思ったらさにあらず。まだまだ早いところがあり、闘志がマッチを擦った時のように燃え上がった。そんなこんなしているうちに、何か嫌な気持ちになってきた。審査員が猫の目よろしく我々の方を睨みつけていた。せっかくの闘志がその目に寄って睨み消されそうになり、スタンドプレー的なものが頭をもたげてきた。

【2日目】剣山に登る日である。天気も体調も上々だった。行動はサブザック行動で、他の荷物は自衛隊のトラックで次の幕営地に運ばれることになっていた。集合し、点呼を取り、いよいよ出発だ。「B」という印のついた旗を先頭にして、蟻の大群のような行列が動き出した。「ザッザッザッ」という歩く音はバラバラではあったが、皆、意気込んでいるように聞こえた。やがて尾根に出る。背の低い笹が、いかにも南国といえども自然は厳しいよ、とでも言いたいような格好で我々の足元に絡みついてきた。

「しまった、水が足りない」。我々は焦ってしまった。ひとつのポリタンクに水を入れるのを忘れ、さらに小さなポリタンクを持ってきてしまったのだった。太陽が近いためであろう、予想以上に汗をかき、水がすごく欲しくなった。水を節約して飲まなければならず、ポリタンクの蓋でひとり何杯と定め、父親が晩酌しているように、乾いた大雑巾に染み込ませなければならなかった。昼飯はパンであったため、なおさらそうだった。喉が詰まり飯どころの騒ぎではなかった。そのためパンは全く食べず、チーズとかソーセージなどでその日一日を持たせなければならなかった。

 乾燥に苦しみながらも、ようやく剣山の山頂にたどり着いた。そこには車で来た人々(剣山は頂上近くまで車で行け、そこからリフトに乗れば500メートルと歩かずに山頂に行ける)であろう大人、子ども、老人、頭に来るほどたくさんの人々が我々をもの珍しそうに見ていた。山頂付近にはレストハウスがあった。そこに行って水を貰ってきた。その時は「地獄で仏」を身に染みて感じた。そして腹わたがふやけるほど水攻めにしたが、それでも足りないくらいであった。そこからは下りである。平家の馬場と言われるのももっとものように、本当に高原を思わせるようだった。「ゴロッ」という雷とともに雨が降ってきた。さっそくポンチョをかぶったものの、雨が強くなってきて体はぐしょぐしょになってしまった。乾燥のためであったのだろう、また喉がカラカラに乾いてくる。私はポンチョで雨水をため、それを飲むことを思いついた。誠に極楽の味であった。

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